私は小さな頃から「人の役に立ってみんなが幸せになってほしい」という想いを持っていました。様々なセラピーを学び実践、紆余曲折する中、意識改革ツール「Kanaiプレートアート」に出会い、本当の意味で心が軽やかになり人生が変わりました。主宰するチームをKirakanai♡キラカナに再編編成。おひさまテキストを使い、Kanaiプレートアートともっと仲良くなって次のステージの扉を開けます。それぞれが自分らしくキラキラ輝くチーム。Kanaiプレートアートを楽しみ尽くしませんか。
「あなたの人生を、誰にも遠慮せずに楽しみましょう。あなたの幸せは周りのみんなのハッピーです!!」
「kanaiプレートアート」を必要とする人に届けたい!
kanaiプレートアートという意識改革ツールに出会って、人生が変わった私。
kanaiプレートアートを知らない人に知ってもらい、自分の人生を楽しんでもらいたい。
kanaiプレートアートを持っているのに、今一つ活用できていない人には極意を届けたい。
私の強みは、Kanaiプレートアートを信頼しきっていること。
私のプロフィール
出身地 | 北海道上川郡清水町字熊牛 |
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出身校 | 北海道清水高等学校(上川郡) |
誕生日 | 12月生まれの 射手座 |
血液型 | 天真爛漫なO型 |
資格 |
kanaiプレートアートマスターナビゲーター;kanai JPN(カナイジャパン)[ビジョン現実化企画] キラカナ♡代表
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趣味 | ドライブ、車カラオケ、温泉巡り |
休日の過ごし方 | 温泉にいってリフレッシュ、
お気に入りのタイトルでKanaiプレートアートを描く
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おてんばな幼少期の夢は「地球の平和を守る!」でした。
幼少期は おてんばで、夢は「ウルトラ警備隊に入って地球の平和を守る!」でした。
小学校に入ると「勉強を教えてくれる先生はすごい!」と感動し、夢は「学校の先生」に変更。
中学、高校では保健委員をやることが多く、 保健室の先生とも仲良しに。
ところが、受験は失敗。
浪人を考えていた矢先、父親がガンで入院。
その年の12月に父は他界。
もし進学していたら途中退学を余儀なくされていたかもしれません。
父の死は私のターニングポイントでした
養護教諭の夢を諦めて就職していたお店を、父の死後すぐに退職することになって。
その後、身体障がい者枠である企業に採用されました。そこで主人と出会い結婚。
1987年(昭和62年)、長男が生まれます。当時は幼児教育が注目され、 その流れにのり「家庭教育学級」に参加。
運営委員長としてメンバーにも恵まれ 楽しく充実した時間を過ごします。
1990年、長男が3歳、二男が1歳半の時に、主人の転勤で横浜に引っ越します。
長男が入園した幼稚園でクラス委員に立候補。
先生にも友達にも恵まれ、ずっと横浜で仲間と一緒に成長したいと思っていました。
この横浜での経験が、私のモットー「みんなで楽しむ」の土台となります。
思わぬ落とし穴にはまってしまいました
この横浜時代、友人が化粧品の代理店をやっていました。
にきび肌で荒れていた私の肌が綺麗になったのが嬉しくて、勧められるまま活動にも参加。
それにお小遣い程度の収入が得られたことも、素直に嬉しかったのです。
そして、当然の流れのように、「もっと多くの女性の役に立ちたい」と、 化粧品の代理店をして頑張りたいと思いました。
でも、どうやら私には、向いていなかったようです。
売り上げが足らないと、自宅に在庫を隠し持つようになりました。
隠している在庫、在庫のための借金、これも私のがんばりが足りないからだ・・・。
今、ここでやめてしまったら、今までの努力はどうなるんだろう悪循環の中でもがくしかなく。
不安が膨らんでいても、辞めると言い出せなくなっていた時に なんと主人が札幌へ転勤することになりました。
主人の転勤という「そこを離れるしかない状況」に助けられ、 すべての活動をやめ、清算し、横浜から札幌へ引っ越しました。
札幌でのPTA活動スタートは、まさかのいじめから・・
札幌へ来たのは、長男の小学校卒業が終わった3月末。
中学校でも張り切ってクラス委員に立候補。
横浜での楽しい生活を考えたら、当然の決断だったし、 「情報収集もできる」と楽しみでいっぱいでした。
長男の通った中学校は、創立2年目の新しい中学校。
校舎も綺麗でおしゃれで、PTA活動がとっても楽しみでした。
二つの小学校からの生徒が通う中学校は、 保護者の考え方もそれぞれの地域で大きく違っていました。
横浜から引っ越してきたばかりの「よそ者」だった私は、 何も知らずに クラスの広報委員を引き受け、更に 広報委員長にも。
翌年には、先生にも頼まれ「横浜でPTA役員の経験もあるし」と 軽い気持ちで副会長を引き受けました。
学校祭のお手伝いのとき、『みんなで楽しく』の気持ちがむくむく湧いてきて ちょっと提案したのが悪かった〜
「お手伝いしてくれる皆さんに、コーヒーでもだしませんか」と発言したことで、 まさかいじめが始まるとは思っていなかったから、焦りました。
この時の経験も「みんなで楽しみたい」に繋がっています。
なぜ同じ失敗をしちゃうのかな~
さて、横浜時代に痛い失敗をして、もう関わらないと決めていたはずのMLM(ネットワークビジネス)の世界。
たまたま子どもの健康に心配なことがあった時、 友人に進められて試したサプリメントがとても良かったのです。
でも、説明会でみんなの感動体験を聞いているうちに 「あ、あの人にも教えてあげたい・・・」と、また人の役に立ちたい思いがむくむく。
横浜時代の化粧品のように、在庫を抱える心配はありませんでした。
でも、数人のお友達が喜んで使いだすと もっと頑張って仕事にした方がいいかもと、意識が変わってくる。
ネットワークビジネスの世界でうまく結果がでないのは、 自分に資格がないからだと思うようになり 空いた穴を埋めるように、資格取得に走り始めました。
レイキや足もみを習ったり、 マヤ暦やカラーセラピーを学んでみたり・・・・。
動機はすべて「人の役に立ちそう」なのです。
さらに 地域の委員も引き受けて中心的立場で活動を頑張る私。
私が外に向かって、頑張れば頑張るほど、しわ寄せが行く家族。時間には限りがあるからです。
息子たちからは何も言われませんでしたが、過去にやらかしている私を知っている主人は 心配だったのではないでしょうか。
過去の出来事を挽回しようとしていた私がどこかにいて、空回りしていたのが見えていたのかもしれません。
次第に主人との間に、隙間風が吹き始め、頑張っても埋まらない穴に苦しみ、 さらに自分の外側に価値観を見出そうとするる私は、またもや悪循環の中でぐるぐるしていました。
そして、この時もまた、天からのお助けが・・・。
なんと、再び主人は転勤の辞令を受けました。今度は旭川への引っ越しです。
でも 主人は 「あなたがこの地域からいなくなったら困るだろうから、 単身赴任するよ」と言ったのです。
主人の転勤についてくと決めて、流れが変わりました
悪循環と頑張りに限界を感じていた私は、ここでの選択を間違えると大変なことになると思って。
「息子達も自活していて、夫婦二人の生活なのに札幌に残る理由はありません。一緒に行かせてください」 と即答しました。
この選択のおかげで、流れは確実に変わりました。
無意識に囚われていた思いや、自分の勝手な思い込みで、 悪い流れをどんどん自分で呼び込んでいた事にも気づけました。
潜在意識に刻み込まれた思い込みって、それに気づいただけでは そう簡単に手放すことはできません。
実際に流れが変わりだしてからも、何度か悪循環のトラップにハマりかけました。
今ならわかる“集合無意識”という、これまた厄介なもの仕業です。
kanaiプレートアートが腑に落ちた時に、集合無意識から抜け出せました。
小さいころから 「人の役にたってみんなが幸せになってほしい」というこの感情は、 私の使命でもあったようです。
ただ、枯れ葉だらけでずれた状態で取り組んでいた時は上手くはいかなかっただけでした。
もう年だし、無理かな~って諦めなくてよかった。
Kanaiプレートアートに出会った時、私は55歳でした。
過去の私と同じように道に迷い、笑顔を失いかけている人の 道 案内をするために
今、私はKanaiプレートアートマスタ―ナビゲーターの称号を頂いたと思っています。
Kanaiプレートアートは、本当に素敵なツールです。
これまでの経験や、使い方のあれこれは 惜しみなくお伝えしますので、ぜひぜひ使いこなし更に発展させてください。
おひさまのような笑顔で、 あなたらしく 与えられた人生を、謳歌してください。
おひさま♡えがお は、あなたの熱い応援団です。
2014年北海道札幌で生まれた「Kanaiプレートアート」
ココロの声を視覚化し、潜在意識をクリアにしてあなたの可能性を引き出します☆
電話番号:090-1507-7143
所在地 :北海道札幌市清田区